思考と抽象度
昔、教授にこう言われたことがある。
面積ベクトルって知ってるか?
函数って知ってるか?
その時、分からなかった。し、
なにが言いたいのかも分からなかった。
大学教育で習うことが全てだと思ってた。
大学や分野が違えど、そんなに異なる事をしてるとは思ってもなかった。
けど、
それは勘違いだったのかもしれない。
数学や物理学に興味を持って接すれば接するほど、
工学から見て、果てしないような抽象世界があった。
そこには、殆んど接したことがないような世界しかなかった。
僕の大学で行われてた講義なんて、ホンの数ページだった。
興奮が収まらない。
僕の教授が時々言ってた。
でも、言わないこうとしながらつい口走ってしまってた感じが分かったような気がする。
数学のような抽象度の高い考えかたを持ち合わせるということ。
数学は物理学を記す唯一の言語だということ。
言語学も数学も高い階層にあること。
そして、これらの抽象世界の存在をしり、少なくとも接し、思考法として取り入れている人達がいること。
僕が最近やっと社会に出て思うことは、
抽象階層により人は分類できる。そう感じていて、
抽象階層の高い方から低い方へと仕事または指示が下りるということ。
そう思ってた。
そんななか、数学辞典を読んではるかに抽象度の高い世界をみた。
抽象度の高い世界にいる人達の中で、さらにもう一階層も二階層も上にいるのだと思った。
僕の教授が、ある分野において日本のトップにいるということ、大学での教育者としてもトップの立場にいるということは、もしかするとこのはるか上の抽象世界にいることなのかもしれない。と、感じた。
これは勝手な解釈で殆んど思い込み。
ただ、
研究しながらも、
まっっったく異なるモノが、
数学的に考えると同じだったりする。
複雑なことをすればするほど、多次元のことを考えれば考えるほど。
抜け出せない抽象度、自分の限界の抽象度ってのはよく感じる。
そして、
それがとてもレベルの低い所だったんだと、痛感した。
これでは、
一般世界の上にしか行けない。
先生の世界にいくには、
本当の一握りになるしかない。
僕はこの体験を忘れない。
上のクラスへ。
おれは低レイヤーのオブジェクトにはなりたくない。
努力で天才になってやる。